最近は、自然災害が頻発していて連日そのニュースばかりですが、少し前はスポーツ関連の不祥事、トラブルがいろいろありました。
その中で日本の国技・相撲についてもいろいろありましたね。最近の指導者の暴力問題やパワハラ問題のきっかけを作ったのは、相撲部屋のパワハラ問題じゃなかったのかと個人的には思います。その後、相撲協会のごたごたへの不信感も残ったままですね。まだ記憶に残っていると思いますが、最近は何事もなかったかのように報道もされなくなりましたね。
それよりも他の問題がいろいろ起こり過ぎているのかもしれません。
今回は、すこし時間を巻き戻して相撲協会の女人禁制発言について、歴史的事実と異なることが判明したので紹介したいと思います。
早速いってみましょう!
相撲協会の女人禁制発言の顛末とは?
相撲協会が相撲は女人禁制だと言い放った事件について、まだ記憶にある人も多いと思いますが、簡単にその事件について振り返って見たいと思います。
ことの発端は2018年4月4日、京都府舞鶴市の春場所巡業のおり、土俵上で挨拶に立った多々見良三市長が突然倒れ、相撲関係者があたふたしている中、近くに観客としてきていた女性(看護師)達がいち早く土俵に駆け上り倒れた市長の救護処置をしようとしたところ、行司が場内アナウンスで「女性はすぐに土俵から降りてください!」というアナウンスを繰り返すという事態が発生しました。
この相撲関係者の対応には、世間からも大きな批判を浴び、女性差別問題にも発展し、最終的に相撲協会が4月28日に臨時理事会を招集し、八角理事長が謝罪するという事態になりました。
八角理事長の謝罪談話は、以下の通りです。長いですが全文引用します。
〈1〉舞鶴市での不適切な対応について
京都府舞鶴市で行った巡業では、救命のため客席から駆けつけてくださった看護師の方をはじめ女性の方々に向けて、行司が大変不適切な場内アナウンスを繰り返しました。改めて深くおわび申し上げます。
舞鶴市の多々見良三市長の一日も早いご回復を心よりお祈り申し上げます。
大相撲は、女性を土俵に上げないことを伝統としてきましたが、緊急時、非常時は例外です。人の命にかかわる状況は例外中の例外です。
不適切なアナウンスをしたのは若い行司でした。命にかかわる状況で的確な対応ができなかったのは、私はじめ日本相撲協会(以下、協会といいます)幹部の日ごろの指導が足りていなかったせいです。深く反省しております。こうしたことを2度と起こさないよう、協会員一同、改めてまいります。
〈2〉宝塚市に土俵下からあいさつをお願いしたことについて
兵庫県宝塚市で行った巡業では、宝塚市の中川智子市長に、土俵下に設けたお立ち台からのあいさつをお願いしました。市長にご不快な思いをさせ、誠に申し訳なく恐縮しております。
あいさつや表彰などのセレモニーでも、女性を土俵に上げない伝統の例外にしないのはなぜなかのか、協会が公益財団法人となった今、私どもには、その理由を改めて説明する責任があると考えます。
この問題は過去にも議論されたことがありました。そうした折りに歴代の理事長や理事はだいたい次の3つの理由を挙げてきました。
第一に相撲はもともと神事を起源としていること、第二に大相撲の伝統文化を守りたいこと、第三に大相撲の土俵は力士らにとっては男が上がる神聖な戦いの場、鍛錬の場であること、の3つです。
第一の「神事」という言葉は神道を思い起こさせます。そのため、「協会は女性を不浄とみていた神道の昔の考え方を女人禁制の根拠としている」といった解釈が語られることがありますが、これは誤解であります。
大相撲には土俵の吊り屋根など神道に由来するものが数々あり、協会はこれらの様式を大相撲の伝統文化を表すものとして大事にしております。また各地の由緒ある神社においては、大相撲の力士が招かれる奉納相撲が長年にわたり行われています。
しかしながら、大相撲にとっての神事とは、農作物の豊作を願い感謝するといった、素朴な庶民信仰であって習俗に近いものです。大相撲の土俵では「土俵祭(神様をお迎えする儀式)、神送りの儀」など神道式祈願を執り行っています。しかし、力士や親方ら協会員は当然のことながら信教に関して自由であり、協会は宗教におおらかであると思います。歴代の理事長や理事が神事を持ち出しながらも女性差別の意図を一貫して強く否定してきたのは、こうした背景があったからです。
先に述べた3つの理由は、私どもの胸中に混ざり合っています。ただし多くの親方たちの胸の中心にあったのは、第三の「神聖な戦い、鍛錬の場」という思いではなかったかと思います。
昭和53年(1978年)5月に、当時の労働省の森山真弓・婦人少年局長からこの問題について尋ねられた伊勢ノ海理事(元幕内・柏戸)は、「けっして女性差別ではありません。そう受け取られているとしたら大変な誤解です。土俵は力士にとって神聖な闘いの場、鍛錬の場。力士は裸にまわしを締めて土俵に上がる。そういう大相撲の力士には男しかなれない。大相撲の土俵には男しか上がることがなかった。そうした大相撲の伝統を守りたいのです」と説明いたしました。
のちに女性初の内閣官房長官となられた森山氏に、平成2年(1990年)1月に面会した出羽海理事(元横綱・佐田の山)は「女性が不浄だなんて思ってもいません。土俵は力士が命をかける場所ということです」と述べました。
土俵は男が必死に戦う場であるという約束ごとは力士たちにとっては当たり前のことになっており、その結果として、土俵は男だけの世界であり、女性が土俵に上がることはないという慣(なら)わしが受け継がれてきたように思います。
当然のことですが、私どもがこだわりを持つのは、大相撲の土俵に限ります。大相撲の原型となった勧進相撲が盛んになったのは江戸時代の中ごろです。関取の大銀杏(おおいちょう)と締め込み、部屋制度のもとでの男の共同生活などとともに、土俵は男の戦いの場という約束ごとも、江戸の大相撲以来の伝統です。力じまんの男たちが強さを追求するにはこれらの伝統のすべてが欠かせないと、私どもは先人から教え込まれてきました。
平成16年(2004年)から3年間、東海大学体育学部の生沼芳弘教授らが大相撲の観客の女人禁制に関する意識調査を行ったことがありました。大相撲の土俵の女人禁制に反対しないと答えた人はどの年も6割以上、表彰の時に女性が土俵に上がれないことにも反対しないと答えた人は5割以上いらっしゃいました。
この問題につきましては、私どもに時間を与えていただきたくお願い申し上げます。生沼教授らの調査から10年たちました。再度調査を行い、外部の方々のご意見をうかがうなどして検討したいと考えます。何とぞ、ご理解をたまわりたく存じます。
〈3〉ちびっこ相撲で女子の参加のご遠慮をお願いしたことについて
宝塚市、静岡市などの巡業で、ちびっこ相撲への女子の参加をご遠慮いただくようお願いいたしました。
ちびっこ相撲は、以前は男子に限っていましたが、平成24年(2012年)の巡業の際に、女子を参加させたいとの要望が複数寄せられました。当時の北の湖理事長が「ちびっこ相撲は土俵の伝統とは別」と考え、要望に応えることにしました。
ちびっこ相撲では、関取が胸を貸し、子供たちは関取にぶつかります。子供たちが転倒することもあるので、けがが心配です。女子の参加が増えるにつれて、関取から特に女子の顔に傷を負わせることを心配する声が上がってきました。また、関取は裸に稽古まわしという姿なので、小学生でも高学年の女子が相手になると、どう体をぶつけていいのかわからないと戸惑う声もありました。
関取らの声を受けて、執行部は昨年秋、女子の参加はご遠慮いただこうとの方針を決め、春巡業の各地の勧進元へ伝達しました。しかし、どの勧進元に対しても、なぜ女子の参加をご遠慮いただくのか理由を説明しておりませんでした。そのせいで、女人禁制を子供にまで当てはめ、子供たちの楽しみを奪ったと、多くの方々から誤解される事態となってしまいました。誠に慙愧(ざんき)に堪えません。
この春の巡業では、ちびっこ相撲でけがをしたとの訴えが2件、いずれも男子のご両親から寄せられました。
こうした訴えが実際に寄せられた以上、ちびっこ相撲はいったん休止し、そのやり方を根本から見直したいと考えます。2、3人の子供たちが一斉に1人の関取にぶつかるやり方を改め、けがをしない安全なちびっこ相撲を考えて、再開をめざします。合わせて、女子の参加についても再検討いたします。
おわりに
この度は暴力等の問題に続き、土俵の女人禁制をめぐる混乱を起こしまして、誠に申し訳ありません。
協会は「相撲文化の振興と国民の心身の向上に寄与する」ことを目的としています。協会が公益財団法人となった意味を十分かみしめながら、国技大相撲の運営に当たっていきたく存じます。土俵の厳しさを追求すること、ファンの方々に安全に楽しんでいただける工夫をこらしていくこと、できるだけ多くの方々に大相撲への理解を深めていただくことに尽力してまいります。
大相撲を支えてくださるファンの方々に男女の区別はありません。幸いにして現在、大相撲の興行は大勢の方々からのご支持をいただいております。その大きな要因となっている女性ファンの皆さまには、日ごろから大変感謝いたしております。いつも応援をいただき誠にありがとうございます。今後とも女性の方々に一層愛される大相撲をめざしてまいります。
皆さまのご指導、ご鞭撻(べんたつ)を何とぞよろしくお願い申し上げる次第でございます。
平成30年4月28日 公益財団法人日本相撲協会
理事長 八角信芳
引用:https://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20180428-OHT1T50095.html
この謝罪談話で重要と思われるところは、赤字とアンダーラインで強調表示をしました。
この文章は、何度も読み返してみると非常によく練られた当たり障りのない、批判を受けない文章だと感心しました。
結局のところ相撲協会としては、今回の一連の問題対応について謝罪し、女性を差別する意識はなかったが、江戸時代から続いてきた大相撲の慣習が今の時代感覚と合わなくなってきているので今後の対応については考える時間が必要だということを言いたかったようです。
大相撲は今や国民の税金を投入されている公益財団法人として相撲協会が運営し、国技であると言っている以上、江戸時代に営利的にはじまっている大相撲の慣わしをいつまでも引きずっているのはどうかと思います。
いつまでも「土俵は男だけの世界」なんて言っているのは、心の狭い男性社会のエゴでしかないように思います。
大相撲界と似たような構造は、日本社会の男性主体の組織に見られますね。日本の会社組織にも見られます。男性優位の組織構造でなかなか女性を受け入れようとしない点は、まったく同じだと思ってしまいます。
欧米にくらべて経営陣に女性取締役が占める割合が極端に低いのは、それを物語っているでしょう。男性の意識改革と女性からの働きかけの両輪で社会を変えていくしかないように思います。
こういう問題が出てくるのは、今がちょうど変革期に差し掛かっているからかもしれません。
相撲の歴史的事実とは?大相撲の歴史は浅かった!
相撲の歴史は、いくつかの文献に当たると「日本書紀」の時代(飛鳥~奈良時代)までさかのぼります。約1300年ほどの歴史があることになりますね。
ところが大相撲の歴史は、江戸時代中頃から活発に行われるようになった勧進相撲が発展したものですので、約200年ほどしかありません。
「大相撲の歴史」は、「相撲の歴史」全般からみるとごく一部分でしかないと言えるでしょう。相撲協会が、大相撲は国技という言う以上は、約1300年に及ぶ相撲の歴史全般を対象とする歴史認識が必要であると思います。
大相撲が成立する前の相撲の歴史、文化的価値の重みはとても高く、その部分を抜かして大相撲の歴史を正しく位置づけることは逆に難しいと考えます。
相撲協会が、ちゃんとした歴史認識を持っていれば今回のような問題は起こらなかったのではないかと思います。
なにせ、日本で初めに相撲をとったのは、女性だったのですから。しかも女相撲の歴史は大相撲の歴史よりも長いわけです。
「日本書紀」第十四巻の雄略天皇の部分で、次のような記述があります。
(原文)
乃喚集采女、使脱衣裙而著犢鼻、露所相撲。
(現代語訳)
采女(ウネメ)を呼び集めて、衣裙(キヌモ=裙はスカートとか裾の意味)を脱がせ、著犢鼻(タフサギ=犢鼻は子牛の鼻でふんどしのこと)にして、よく見えるところで相撲を取らせました。
※采女(うねめ)とは、天皇の身の回りの世話をする女官のことです。
この記述が歴史に登場する初めての相撲です。
そして、女相撲は明治から昭和前半頃まで続けられていたようです。

引用:https://sumoujinku.exblog.jp/15369910/
中には、「大関若緑」という人気女性力士もいたようです。
参考文献:「女大関若緑」遠藤 泰夫 (著) 朝日新聞社 2004
※すでに絶版ですが、中古本がありました。>>> こちらから購入可
※ちなみに著者である遠藤泰夫さんは、大関若緑の息子さんです
相撲は、男性だけのものではなかったということですね。いつのまにか女相撲の歴史が抹殺されているようにも感じます。
まとめ
- 相撲協会の女人禁制発言は、相撲協会関係者の歴史認識の甘さに原因がありそう。
- 相撲の歴史は、大相撲の歴史よりもはるかに長く、歴史的、文化的価値は重い。
- 日本の歴史で初めに相撲をとったのは女性だった。
日本の国技である相撲を正しく理解するためにも相撲の歴史に対する認識をさらに深めていく必要がありそうです。
相撲協会は、大相撲の歴史だけでなく日本の相撲の歴史、文化にたいする調査・研究もしっかりと行ってもらい、国技として相撲の歴史的価値を広く国民に発信してほしいと期待するばかりです。
コメント