おかね【お金】

お金、普段あたり前に使っていますね。財布に小銭やお札が入っていると思います。いったいいつから「お金」なるものが登場したのでしょうか?

大昔は、モノのやりとりは、まさに物物交換だったので、例えば山の人が海の人と交換する場合は、木の実(かご1つ)と魚(2匹)と交換のようにまさにそのモノの交換でした。

でもこの物物交換は、なかなか大変だったと思います。お互い希望するほしいものがなかなかマッチしない時もあったと思います。

そこで、
誰もがほしがるもの、収集・分配できるもの、持ち運びができて保管しやすいものという性質を持つモノ(布、穀物、砂金など)がお金の役割を持つようになりました。

さらに時代が進むと金属(金、銀、銅)がお金の役割を持つようになり、貨幣が登場しました。金属貨幣の古くは、紀元前8世紀の中国で青銅製の刀などを模った貨幣が作られていました。

日本では、弥生時代以降に大陸との交流が盛んになり、中国、朝鮮半島から人、モノ、文化などの情報が大量に入ってきており、日本も急速に発展していきます。
その中ですでに大陸で流通しはじめていた貨幣も一緒に入ってきています。
その貨幣が中国で西暦621年に鋳造された「開元通宝」です。
日本の遺跡からも発掘されています。
この貨幣を真似(モデル)して造られた貨幣が「和同開珎」です。と私が小中学校生の時は教えてもらいましたが、さらに古い貨幣が奈良県明日香村の「飛鳥池遺跡」で発掘されました。それは、「富本銭」と呼ばれています。この貨幣を鋳造した鋳型も出土していることから国内で鋳造していたことは確実です。ただまだ見つかっている数が少ないため、いわゆるお金として流通していたかどうかは不明で今後の研究をまたなければなりません。
富本銭(高森町古墳)
長野県高森町
の古墳から出土

富本銭(飛鳥池遺跡)
奈良県明日香村飛鳥池遺跡出土(縁に鋳造時のバリが残っています)

富本銭と鋳棹
富本銭の鋳造状態のまま出土(失敗品?)
プラモデルの部品みたいですね。

ただ、中国の開元通宝よりもわずかに遅れる程度でほぼ同レベルの貨幣の鋳造を国内で始めていたことは驚きとともに、当時(飛鳥時代)が高い社会・文化システムを持ち始めていたといえるでしょう。考古学的な研究からも飛鳥時代が大陸からの情報を貪欲に取り入れていたことが明らかになっています。

富本銭の価値・用途については、まだよくわかっていませんが、奈良時代の和同開珎についてはお金として価値をもって流通していたようです。
今までの研究から、和同開珎1枚「1文」は1日分の労賃でお米(白米)一升二合(約1.8㎏)と交換できたそうです。

現代から比べると白米の価値は高いですね。いまでこそ白米は当たり前にスーパーで購入することができますが、奈良時代はまだまだ庶民の日々の食卓に並ぶものではなかったようです。庶民は毎日何を食べていたのでしょうか。興味がわいてきました。
また、探っていきたいとおもいます。

それでは、また。

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