「パルミジャーニ・フルリエ」というスイスの時計メーカーを知っている日本人はどれくらいいるだろうか。時計好きな人ならおそらく知っているかもしれないですが、ほとんどの人は知らないだろうと思います。
「パルミジャーニ・フルリエ」は、1996年創業の機械式時計を作るメーカーでネジ一本から自社製作する数少ないマニュファクチュール(自社一貫製造の時計メーカー)です。
なんとその伝統あるメーカーの製造開発責任者が浜口尚大(はまぐち たかひろ)という日本人というから驚きです。
いったいなぜそんなところに日本人がいるんだろうと素朴な疑問もあり、浜口尚大氏の経歴について調べてみました。
パルミジャーニ・フルリエの時計師は日本人だった!浜口尚大の経歴とは?
浜口尚大さんは、生粋の日本人でスイスになにか縁があるわけでもありません。高校を卒業して単身スイスに渡り、現地の時計修復の専門学校に入学しています。
すごい行動力ですよね。その原動力はなんだったのか?
- 名前 浜口尚大(はまぐち たかひろ)
- 誕生年 1977年(42歳・2018年)
- 出身 山口県下関市
浜口尚大さんは、二人兄弟の次男でもともと手先が器用で職人にあこがれていたそうです。彼がスイスに渡るきっかけは、1冊の雑誌でした。
その雑誌は、『グッズプレス』1994年12月号でそこに掲載されていたスイスの機械式時計の特集記事のスイス時計師養成学校の情報だったそうです。
この記事を見た浜口さんは、時計師になると決意して高校卒業後、1996年(19歳)でスイスへ単身渡ります。スゲ━━━━━━ヽ(゚Д゚)ノ━━━━━━!!!!
スイスでは、ヌーシャテルの語学学校で二年間フランス語を学び、時計師養成学校に入学します。
この時計師養成学校に入ってからが才能解放という感じで凄いんですが、
養成学校の専門課程を飛び級して本来4年で卒業を3年で修了してしまいます。
そして、年間6人しか入学できないヌーシャテル高等職業訓練学校ル・ロックル技術学校で2年間修復と複雑機構を習得し、修復師の資格を取得しました。天才ですね。
修復師になるには、機械がどのように動くか、構造を理解することだそうですが、その理解力は天性のもので後から学ぶことができない才能だそうです。
これは、凡人には無理な職業ですね。浜口さんには天賦の才能があったということでしょう。
前世は、名のある時計師だったのではないでしょうか^^;
これだけの才能があれば周りがほっておかないわけで、2004年オーデマ ピゲ ルノー・エ・パビ社の代表ジュリオ・パビに認められて、入社しています。
ここで、マセラティのスポーツカーMC12用にデザインされた画期的なオーバル型ムーブメント・ミレネリーMC12を開発して、業界で有名になります。
かっこいいスポーツカーですが、この車用にデザインされた時計を開発しています。どんな時計か、プロモーション動画があったので、見てみましょう。
かっこいい動画ですね。時計は複雑過ぎてよくわかりませんが、とにかく凄い精巧だということは感じますね。単なる精巧な機械というよりは、工芸美術品の域です。
2008年にオーデマ ピゲに移籍して、設計主任になっています。2012年には、ヴォーシェ・マニュファクチュール・フルリエでムーブメント開発責任者・製造開発担当副社長になります。
創業者のミッシェル・パルミジャーニに認められて、彼の元で開発から6年の歳月をかけた世界初のトノー型一体型クロノグラフ「カルパ クロノール」を完成させます。
この時計はもう芸術品ですね。いったいいくらするのだろうと思ってしまいますが、この時計の芸術的なムーブメントを開発したのが浜口さんという日本人というのは、なんだか同じ日本人として誇らしいような気がします。
浜口尚大さんは、まだ42歳ですし、これから時計全体の開発にも携わっていくことになるんでしょうね。
まだまだ凄い時計を作っていってもらいたいと思います。
まとめ
- パルミジャーニ・フルリエの時計師は日本人・浜口尚大さん(42歳)。
- 2018年に発表された「カルパ クロノール」のムーブメンを開発。
一生に一度は、パルミジャーニ・フルリエの機械式時計を持ちたいものです。
コレクションの見ていると欲しくなりますね。
浜口尚大さんのような人生もあるんだとちょっと羨ましくも感じますね。自分のやりたいことにまっしぐらという感じですが、情熱をもって取り組める一生の仕事に就けていると思います。すばらしいです。
浜口さんのような充実した人生を歩める人とそうでない不幸な人生を歩んでしまう人との差ってなんなんだろうと思ったりします。
人間の一生とは、いろんな人生があり面白いですが、他人と比べるときりがないので自分の時間を一生懸命生きるしかないですね。
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