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長野・上田の『龍顔寺』ってどこ?なぜ「のらくろ」で有名?

芸能・エンタメ

龍顔寺というお寺について紹介します。お寺の名前が龍の顔というお寺で、ちょっと怖そうな感じですね。

お寺の名前の由来も気になりますが、漫画の「のらくろ」とも関係があるちょっと不思議なお寺のようです。

また、先日ある番組のロケもあり賑やかでしたね。

早速見ていきましょう!

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龍顔寺はどこにあるの?

お寺の正式名称は、「曹洞宗不動山龍顔寺」といいます。

所在地は、長野県上田市丸子町生田4659です。

お寺へのアクセスは、北陸新幹線上田駅からタクシーで20~30分程度です。あるいは、上田駅から在来線・しなの鉄道に乗換え、大屋駅下車でタクシーで10分程度です。

マイカーの場合は、上信越自動車道・東部湯の丸インターか上田菅平インターで降りて約30分程度です。

東京方面から来る場合は、東部湯の丸インターで降りたほうが早いです。新潟・長野方面から来る場合は、上田菅平インターで降りたほうがいいですね。ちょうど両インターからの中間地点にあります。

駐車場はお寺の参道脇に完備されています。

龍顔寺の由来は?

お寺は、1607年(慶長12年)真田宮内之助高勝公の菩提寺として、信州上田城主、真田信之公の朱印状により開創されたとあります。

この真田高勝という人は、あの真田昌幸の弟にあたります。戦国の智将・真田幸村は高勝の甥にあたります。

真田家の家系図です。

引用:http://www.ryuganji.or.jp/2.html#1

創建当初は、高勝公の法名「高勝寺殿龍顔宋白大居士」からとって「高勝寺」と呼ばれていたようです。その後、お寺の移転によって同じく法名にある「龍顔」をとって「龍顔寺」に改めたとあります。

いずれにしても戦国時代から続く、真田家由来の由緒あるお寺ですね。

高勝公は、1600年(慶長5年)に徳川が上田城に攻め込んだときに、尾野山口を守り徳川軍を大いに苦しめたようです。

龍顔寺の見どころ

四季折々の風情がありますので季節ごとに訪れたいお寺です。お寺の正面にある不動池から眺めるお寺の景色もなんだか癒やされます。

冬は、寒いですが雪が積もった状態の龍顔寺も絵になります。写真がないのが残念ですが、m(_ _)m。

あとは、ちょっと不思議な逸話がある「首つなぎ地蔵さま」が祀られています。

「首つなぎ地蔵さま」とは?

人々を様々な苦しみから救う為つくられた六地蔵のうちの一体ですが、もとから龍顔寺にあったお地蔵さまではありません。

約300年程前の話だそうですが、龍顔寺の近くに二ツ木峠という峠があり、そこの工事をしているときに首がない状態で発見されたそうです。工事の邪魔になるので道の脇に移動させておいたところ、翌朝にはまた元の発見場所に戻っていたそうです。

そんな不思議な出来事があったために龍顔寺に持ち込まれて、あらたに首をつなげて供養したという逸話があります。

引用:http://www.ryuganji.or.jp/ojizousama.html

写真をみると確かに首から上と胴体の部分では岩石の表面の状態が違いますね。お顔の部分が新しい雰囲気があります。

このお地蔵さまは、「首がつながった」ということから、就職、転職成就のお地蔵さまとして、「首つなぎ地蔵」の愛称でお参りが絶えないようです。

お参りが絶えないということは、非常に御利益がある霊験あらたかなお地蔵さまのようです。

「のらくろ」との関係とは?

そんな真田家に由来のあるお寺ですが、あの昭和の漫画「のらくろ」と関係があるようです。どんな関係なのか見てみましょう。

龍顔寺との関係は、のらくろの作者である田河水泡さんが、1944年(昭和19年)に上田市生田に疎開したことから始まります。

当時、龍顔寺には、田河さんの自宅があった杉並区の西田小学校の児童が学童疎開していた縁もあったようです。そのような縁で田河さんは、たびたび龍顔寺を訪れて和尚さんはじめお寺の関係者、地元の人とも非常に親しく交流していたようです。

龍顔寺からもほど近い別所温泉にもご夫婦でよく訪れていたそうです。

龍顔寺には、田河さんが描いた「のらくろ」の絵などが多数残されています。

引用:http://www.ryuganji.or.jp/norakuro_text.html

龍顔寺には、田河さんがよく宿泊していた部屋を「田河水泡所縁の間」として、保存していて田河さんゆかりの品々を大切に保管しています。

引用:http://www.ryuganji.or.jp/norakuro_text.html

終戦後、上田市生田を去った後も龍顔寺とは交流を続けていたようです。田河さんの先祖ももともとは信州の出身だそうで、田河家の本家は上田市から車で1時間ほどの佐久市臼田町にあるようです。

漫画「のらくろ」について

「のらくろ」は、1931年(昭和6年)に大日本雄辯會講談社(現・講談社)の雑誌「少年倶楽部」新年号から始まった連載漫画です。1941年(昭和16年)10月号で戦時下の物資不足と軍事統制のために休刊を余儀なくされます。

当時、この「少年倶楽部」は100万部を発行する大ヒット雑誌だったようです。当然、のらくろも大ヒットキャラクターとなって、キャラクターグッズ(筆箱、墨、おもちゃ)などもヒットしていたそうです。

1933年には、アニメーションが制作されています。当時のアニメ映像のキャプチャーです。

「のらくろ二等兵」のオープニングテロップ

「のらくろ二等兵」オープニングタイトル

はじめてのアニメーションのタイトルは、「のらくろ二等兵」です。戦時下ですので、あきらかに軍隊色が強いですね。でもこういうアニメにしないと制作できなかった社会情勢でもあります。

2018年現在でも、この「のらくろ」のキャラクター商品は販売されているのを見ますね。

まとめ

  • 龍顔寺は、長野県上田市生田(旧丸子町生田)にある真田家にゆかりのあるお寺。
  • 龍顔寺の由来は、真田高勝の法名「高勝寺殿龍顔宋白大居士」からとって名付けられた。
  • 龍顔寺と漫画「のらくろ」との関係は、作者である田河水泡さんが戦争中に上田市生田地域に疎開して、龍顔寺に頻繁に出入りして交流を深めていたことによる

龍顔寺は、首つなぎ地蔵や「のらくろ」など不思議な魅力のある歴史あるお寺です。ぜひ信州に観光でお越しの際は立ち寄って見てください。

あと、先日こちらのお寺で全国放送の番組ロケがありました。それが大人気企画の「池の水全部抜く大作戦」です。番組の予告はこちらです。

この番組の放送は、2018年3月11日(日)夜7時54分からTV東京「緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦7」で放送されます。

内容は、2017年夏の豪雨で池のほとりにある樹齢300年近いご神木が池に倒れており、その撤去と外来魚の駆除がミッションです。どうやら龍顔寺の住職が番組に依頼したようです。

お寺の宣伝にもなるのでいいですね。TV東京が見れる方はぜひ見てみましょう。

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